2025年
ーーー5/6−−− GWの登山の危険
先週の4月29日の午後、リンゴ農園での作業は、冷たい強風に曝されて、とてもきつく、辛かった。作業の合間に、高所作業車の上から北アルプス北部の連峰を眺めたら、山脈の中腹から上は見るからに恐ろしい雲に覆われていた。冬型の気圧配置で北風がもたらす、ぶ厚い雲である。この時期は、里の上空は明るくても、山にはこのような雲がかかることがあり、それが不気味な気配を感じさせる。下界でもこの強風、この寒さだから、あの雲の中はさぞかし厳しい状況だと想像した。実際この期間に、悲しい山岳遭難事故が発したことを、後でニュースで知ったゴールデンウイークに、山で大きな遭難事故が発生したことが、過去にも何度かあった。それらはいずれも、天気の急変が原因だった。この時期、北アルプスの高山はまだ雪に覆われているが、天気が良ければ陽射しが強く、暑いくらいで、半袖で登ることも珍しくない。それが、冬型の気圧配置になれば、吹雪になることもある。その差が、ものすごく大きいのである。
冬山なら、悪天候は覚悟の上だから、それなりの装備で望み、心の準備も万全を期す。逆に言えば、そういう人しか山に入らない。それと比べて、この時期は、軽い気持ちで山に入っても、天気に恵まれれば、雪山の美しさ、楽しさを満喫できる。しかし、いったん天気が急変すれば、冬山と同じ状況になる。吹雪かれて視界を失い、右往左往するうちに体温を奪われ、低体温症になって動けなくなり、死亡に至る。いわゆる疲労凍死である。普通なら1時間で山小屋へ行ける場所で、突然吹雪に襲われ、数名の登山者がバタバタと倒れて死亡した事故もあった。
吹雪までは行かなくても、気温が下がれば雪面が硬くなってスリップする危険もある。暖かい陽射しがあれば、ザクザクの雪の斜面を、登山靴の蹴り込みだけで登り降りできるような場所でも、凍って硬くなれば一転する。アイゼンを装着すればスリップは防げるが、斜面の途中で行き詰まり、アイゼンを付けることが出来ない場合もある。岩と雪がミックスしている場所では、アイゼンを履いたまま岩場を歩くことになるが、慣れない人にはこれも危ない。雪が降ってきて、岩場を覆うように成れば、さらに危険は増す。「アイゼンがあれば雪山でも安全に歩ける」と言われて、アイゼンを買って来ただけの登山者が、そういう状況に対応できるかどうか。
少し前にテレビで見た登山番組。スマホを活用した登山を紹介し、スマホの便利さを大きくアピールしていた。しかし、スマホが悪いと言うつもりは無いが、頼り過ぎるのは危ないと思う。私が若かった頃の登山は、どのような状況でも地図と磁石で場所と方向を確認することが必須であった。現代では、それをスマホで代用して、紙の地図すら持たない登山者も多いそうである。現在地の確認と、進むべきルートをスマホで調べて済ませるのである。安定した条件の時なら、それも良いだろう。しかし、ひとたび天気が崩れて吹雪になり、強風と雪に叩かれている状況で、スマホの操作など出来るのだろうか? 唯一そのスマホに命が掛かっているとしても。
ーーー5/13−−− 楽譜作成ソフト
時々、楽譜を書くことがある。作曲をするわけでは無い。CDなどで聞いた曲を採譜して、自分が演奏するために使うのである。下書きは五線紙に手書きで行うが、最終的にはパソコンを使って書き直す。他者と共有する事もあるので、清書をするのである。これまでは、JW-CAD(建築設計などに使う製図ソフト)を使って来た。CADで楽譜を書いている者など、世の中に私ぐらいなものだろうと、つまらない自負を抱いたものだった。楽器のレッスンを受けている先生に、その話をしたら、「僕は楽譜作成ソフトを使っているよ」と言った。Muse Score という名のソフトだが、とても便利で、しかも無料だと言う。その時は聞き置くに留めた。
そのソフトを、実際に使ってみることになった。教会の聖歌隊は、年に3回の式典(イースター礼拝、永眠者記念礼拝、クリスマス礼拝)で讃美歌を披露することになっている。この8月の永眠者記念礼拝では、新たな曲を歌うことになった。その最初の練習の時に、楽譜を配って歌ってみたら、ソプラノのパートの一部に、音がくて歌い難いところがあるとの指摘があった。ソプラノはメロディーの要なので、きっちりと歌えなければ様にならない。楽譜を移調して、少し音程を下げたらどうかという意見が出た。
私はいちおう聖歌隊長であり、私がその曲を提案した経緯もあるので、楽譜の書き換え(移調)を自分でやってみようと思い立った。しかし、音楽の専門知識など持ち合わせない私に、移調の作業を間違えずに出来るか、自信が無かった。そこで思い出したのが、先生から教わった楽譜作成ソフトであった。たしか先生は、移調なども簡単に出来ると言っていた。
ソフトをダウンロードして、使ってみた。まず、元の楽譜を写す。使い方は、ネットで調べたら、いろいろ出て来た。確かにすごく便利である。欄外の音符一覧から音符を選び、ドラッグして五線譜の目的の場所へ持って来れば、ピタリと収まる。線から微妙にずれたりすると不快だが、そういうことは無い。一小節ぶんの音符が入ると、自動的に次の小説に移動する。オタマジャクシの棒の連結などは自動的にやってくれる。棒の向きや長さの調節もしかり。
楽譜の作成をCADでやれば、自由度があって個性的な表現は出来るが、音符の上下方向のずれや、前後の間隔や棒の長さなど、些細な調整が必要であり、それに多くの時間を取られる。それをソフトが自動的にやってくれるのだから、時間短縮のメリットは大きい。
楽譜を写し終わったら、移調する調を選んでボタンを押す。すると、瞬間的に移調が行なわれる。あっけないくらい、簡単である。CADでこの作業をやろうとするならば、一つ一つの音符を、移調のセオリーに従って、手動で入力しなければならない。私などがやれば、ミスが続出するだろう。そして、もしまた別の調に変えたくなったら、最初からやりなおしである。
書いた楽譜を音で再生できるのも有り難い。楽譜をピアノなどで弾く能力が無くても、正しく楽譜を写せば、再生してメロディーを聴くことができる。また、四部合唱の声部を、別々に書いて重ねる仕組みなので、声部を選別して再生すれば、パート練習もできる。
とても便利なソフトである。これを使って、耳馴染みのある曲を楽譜化していくのも良いだろう。この年齢になると、感覚で覚えたものはすぐに忘れてしまう。再現するためには、理論的な手段、特に視覚化されたデータが必要なのである。
そして、作曲などもしてみたいと思う。これまで、その方面には不案内だった私だが、こういう便利な物があれば、なんとなくできそうな気がしてきた。
ーーー5/20−−− 鉄火巻き
私は寿司が好きだが、中でも鉄火巻きには、特に惹かれるものがある。他の高級ネタと比べれば地味だが、独特の魅力を漂わせる存在である。海苔が巻いてあるのも、他の握り寿司と一線を画している。軍艦巻きも海苔を巻いてあるが、一つずつ巻いてあるので作り方が違う。長く巻いたのを包丁でチョンチョンと切って作る鉄火巻きは、刃物の切れ味が冴えて、とても粋な印象がある。カッパ巻きやかんぴょう巻きも海苔巻きだが、中身がちょいとみすぼらしい。黒い海苔の中に白い飯、その中に赤いマグロの取り合わせが、美味しさだけでなく、見た目にもインパクトがある。
普段、食材や日用品を買いに行くショッピングセンター。前から寿司のコーナーはあったが、どういうわけか鉄火巻きは無かった。ネギトロ巻きはあったが、そんな物では食指が動かない。マグロの赤身でなければ話にならないのである。それが、今年の初め頃から、鉄火巻きも並ぶようになった。これは私にとって、嬉しい出来事であった。早速買って帰って食べた。格別に美味しいわけでも無かったが、鉄火巻きを食べられるだけで、嬉しかった。
何回か買って食べるうちに、満足感がいま一つなのは、海苔が湿っているせいだと気が付いた。作ってしばらくすれば、海苔が飯の水分を吸って湿る。湿って軟らかくなれば、パリッとした触感が無くなり、風味も落ちる。他のネタの海苔巻きなら、そのような事は気にならないかも。お弁当の海苔巻きなどは、握り飯に海苔を巻いたのと同様、食べやすさの工夫であろう。そういうものは、海苔が湿っていようが構わない。しかし、鉄火巻きとなれば、それじゃあつまらない。
ちゃんとした寿司屋で鉄火巻きを頼むと、その場で巻く。やはり海苔の鮮度が大切なのである。他の握り寿司と比べても、鉄火巻きはもっとも時間を争う一品かも知れない。
買ってきた鉄火巻きに、自宅で海苔を巻き直す事を考えた。我が家は、贅沢はしていないが、そこそこ美味しい海苔を常備している。買った時点で巻かれている海苔を剥すのは難しいので、重ねて巻くことにした。そんなやり方でも、食べてみたら、格段に美味しくなった。海苔の風味が際立って、江戸前という言葉が思い出された。
私の鉄火巻き好きは、江戸っ子の血を引いているせいかと思ったりする。私の父方の祖父は、文字通りの江戸っ子で、東京の下町に店を営んでいた。その祖父の毎日の昼食は、必ず鉄火巻きだったそうである。昼時になると、家族や店の丁稚に、近所の寿司屋へ買いに行かせる。それが、決まった時刻から少しでも遅れると、腹を立てて食べなかったとか。いかにも江戸っ子らしい逸話である。
ーーー5/27−−− こんな空想
自家用車のオーディオの中に、ビル・エヴァンス トリオのCDが入っている。運転しながらそれを聴いているうちに、妙な空想が頭に浮かんだ。ビル・エヴァンスは、ジャズピアニストである。モダンジャズを代表するピアニストの一人として知られ、著名な演奏家との共演で数多くの名演奏を残したが、ピアノトリオでも独自の世界を展開し、いくつもの名盤を世に出した。ピアノトリオというのは、ピアノ、コントラバス、ドラムによる三重奏である。ちなみに今回私が車の中で聴いていたのは「ザ ビル・エヴァンス アルバム」。特に二曲目が気に入っている。
妙な空想とは、もしモーツアルトやベートーベンが、ビル・エヴァンス トリオの演奏を聴いたら、どのような感想を抱くだろうか?、である。
ピアノやコントラバスは、その時代にもあった。ドラムセットは無かったが、太鼓やシンバルなどの打楽器はあった。だから、使われている楽器は、お二方にとって、珍しい物では無いはずである。しかし、ピアノと、コントラバスのピチカート奏法と、打楽器という、おそらく彼らには突飛とも感じるであろう組み合わせによって、このような音楽ができるとは、さすがの天才音楽家のお二人も、瞠目するのではあるまいか。